イメージを形作る上での浮気心
日頃、視線にうつるものの何気ない風景や音楽から仮説のイメージを具現化
することを子供の頃からの遊びのようにいまだにしています。
まあ簡単に言えば妄想ゲームみたいなものです。癖みたいなもの
それでもその妄想ゲームは、何十年としていると次第に洗練されて
カット割りや構成などを意識すようになり、一つのショートストーリー
形作ろうとします。
でも実際物語が完結することはほとんどなく
それはそれだけの妄想ゲームにふける時間が無いことも理由の一つではあるが
もう一つは、別の路線をとりいれようとする浮気心も一つの原因である。
これは良くも悪くもあり、大概は方向性が定まらず、途中でやめてしまう。
これは、仕事でもよくあります。
一からの映像制作の際に一つの柱(コンセプト)を中心に
粘土(イメージなどなど)をくっつけて、銅像を作っていく感じだが、
ついつい初めの柱の形を忘れたり、そぐわない粘土をとりいれたり、
必要のないものを持たせたりしてしまう。
出来上がりの時間が長いのでは?と根拠が無く思い込んだり、
制作過程で他で目にしたものを自分なりに取り入れようとします。
ひどい時は、人の意見に理由もなく左右されやすくなります。
これらは初めに持った自分が強く持った創造心への浮気だと思います。
その浮気癖を直したい
(矢頭)